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ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 <4>)――派遣会社支援事業部時代
2024/03/11UPDATE!

ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 <4>)――派遣会社支援事業部時代

ささきはじめ
コピーライター/現在は主に自社採用に関わっています。

日本において、人材派遣のイメージは毀誉褒貶の歴史をたどってきた。1986年に労働者派遣法が施行された当時は、専門性を持ったキャリア像として、「自分らしく働きたい」という女性の支持を獲得。1996年に対象業務が26業務に拡大すると、その後も規制緩和路線が続いていく。

大きな転換点となったのは、2008年に起きたリーマンショックだ。製造業を中心に「派遣切り」「雇止め」が発生し、年末には「年越し派遣村」が大きく報道される。こうした状況を踏まえ、政府はそれまでの方針を転換。労働者の「保護」を重視した、規制強化に舵を切った。

そんな中、沼山は2015年に派遣求人の集合サイトである『エン派遣』を運営する派遣会社支援事業部に営業部長として着任。翌年には事業部長となり、成熟市場だと考えられていたサービスを約3倍の売上規模にまでグロースさせていく。その成功のポイントは何だったのか、ひも解いていきたい。

 

<前回記事>

ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 )――人財戦略室時代

 

第4回:派遣会社支援事業部時代(2015年~2018年)

人財戦略室では、室長代理として採用と人事企画を統括し、エン・ジャパンが再成長する礎を築いた沼山。そんな折、派遣会社支援事業部の営業部長が新たなチャレンジのために退職意向を示している、という一報が入る。

「経営層から、後任リストをつくってほしいという依頼がありました。人財戦略室のポジションは普段から経営層の特命プロジェクトを受けることが多々ありました。いろいろな人をピックアップして、社長の鈴木さんに持っていきました。そのとき、『君はどうだ』という話になり、いいですよと回答したところ、『そうか、ありがとう』と着任が決まった感じです」(沼山)

当時、人材派遣市場は成熟したマーケットであり、これ以上の大きな成長はむずかしいという見解が強かった領域だ。

「リーマンショック後、人材派遣業は世間からの風当たりが強く、不安定なビジネス環境でした。加えて政権交代があり、正社員雇用保護の観点が強まり、有期雇用に関する労働法がとても厳しくなっていった時代です。この流れを受けて、派遣会社も一般労働者派遣だけではなく、アウトソーシングなどへと事業を拡大し、総合化していきました」(沼山)

派遣求人の集合サイトである『エン派遣』もまた、ポジショニングを変えていくために、模索を続けていた時期だったという。

「マーケット自体は壊れていませんでしたが、成熟市場であり、大きな成長を望まなくてよいのではないか、という考え方もありました。それでは面白くないということで、まるっと事業を作り直していった感じです。もともと『エン派遣』は中小の派遣会社に強いサイトだったんですが、戦略と業務フローを変えて、大手からの期待にも応えられるサービスに変革しました。背景には『派遣という働き方を自ら選択した人たちが、胸をはって仕事ができる世界をつくりたい』という想いがあります。その実現のためには、就業者数の多い大手派遣会社の協力が欠かせません。ユーザーにとっても、大手の求人を取り扱うことは選択肢の広がりにつながります」(沼山)

大きな理想を胸に秘めた沼山だったが、まず着手したのは、事業をグロースさせるための組織デザインと業務の再設計だった。

「まず、重要指標を就業支援人数に変更しました。人材派遣は半年とか1年で更新になるので、基本的にリピートビジネスです。つまり、効果がすべての世界。ユーザーが更新時にどれだけまた使ってくれるかが、PLの縮図といえます。ですから、営業は短期的なマネタイズを追いかけるのではなくて、応募効果を上げるためのサイトポテンシャルの開発やユーザー体験の改善に集中させました。デジタルプロダクト開発本部がマネタイズを考えて、営業はサービスをつくる、という一般的なあり方とは逆の座組です。このデジタルプロダクト開発本部側のカウンターパートが佐原さんで、営業側の企画責任者として右腕だったのが、のちに執行役員を務めることになる中島純さんでした」(沼山)

いきなり理想論を掲げるのではなく、まず業務レベルでの変革を遂行した理由を、沼山はこう語る。

「組織行動を変えることにより、結果がついてくれば、現場の意識も変わります。理想と行動が一致しないことはあっても、行動と結果は必ず一致するんです。目的や目標を達成できないのは、未達成の行動をとっているから。なので、こうすれば達成できる、という行動を示していくことが大切です。考え方を変えれば行動が変わる、というのは、ビジネスとしては生ぬるい。行動を変えてから考え方を変える、という順番のほうが、断然スピードは速くなります。大きな変化でしたが、当時のマネージャーたちを中心に若手のメンバーたちも本当に努力をしてくれました」(沼山)

結果として、沼山が描いた戦略は大成功をおさめる。最初の1年で売上は急伸し、派遣求人の集合サイトとして事務系派遣のシェアNo.1を奪取するのも時間の問題だった。

「これは勝ち戦だってわかったときに、怖くなりました。シェア1位をとったら、優秀な人はみんな辞めてしまうんじゃないか、って。そこで『僕らはなぜシェアNo.1を目指していたのか。それは影響力を高めて、業界のルールを変える。派遣で働いている人が誇りを持ち、社会から尊敬される業界に変革するのが使命なんだ』という一段高いところにビジョンをもっていきました。だから広告ビジネスでありながら、僕らは就業支援数を第一に追いかける。その思想は、いまでもしっかり受け継がれていると思います。こうした考え方は社内的にも大きなイノベーションで、有期雇用における「人間成長(R)」の解釈をつくり出したといっても過言ではありません。事情があって長時間労働がむずかしい人にとっての仕事人生の充実とは何か、新たなビジョンが生まれていったんです。経営理念の新たな解釈を生み出して、業界をリードする姿を見て、創業者であり元上司の越智さんもとても喜んでくれました」(沼山)

そして派遣会社支援事業部は圧倒的No.1戦略へと移行し、ポジショニングを明確にしていく。

「営業部長として就任した1年後には事業部長になってさらにサイトを成長させ、マスメディアへの露出も増えました。いまでは日経新聞の時給調査は全てエン・ジャパンのデータをもとに発表するようになりました。業界のご意見番として、人材業界の専門誌で毎月執筆活動もやりました。派遣で働く人たちの年齢が高くなっていることから、若手向けに『エンバイト』をつくったのもこの頃です。そして派遣業界で圧倒的なシェアを持つATS(採用管理システム)を手がけるゼクウをM&A。リリース時にメンバーを集めて発表したときは、うわー!って声が上がってましたね(笑)。僕らはゲームチェンジャーとして業界の変革をする、ということを本気で目指していて、その道にまた一歩近づいたことが、みんなにもわかったんです。『派遣の働き方研究所』の立ち上げもあり、より尊敬される業界に向かう動きはこれからますます加速していきました」(沼山)

「着任前の派遣会社支援事業部は、社内でもそれほど注目される部署ではありませんでした」と語る沼山。その状況は、新規事業に挑んだときに見た風景と、重なるところが多かったのだろう。現場のメンバーの努力と成果が称賛され、報われる場所をつくりたいという想いは、誰よりも強かったに違いない。そして理念の落とし込まれた独自の戦略、組織デザインと行動変容によってより良い結果を生み出していくサイクルは、彼が人財戦略室で培った知識・経験の賜物でもあった。

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