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ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 <2>)――新規事業時代
2024/02/13UPDATE!

ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 <2>)――新規事業時代

ささきはじめ
コピーライター/現在は主に自社採用に関わっています。

『エン転職』『engage』『AMBI』など、HR領域でのサービスの印象が強いエン・ジャパンだが、非HR領域の新規事業にも、果敢にチャレンジしてきた歴史がある。現在も事業展開している結婚相談所『エン婚活エージェント』なども、そのひとつだ。

こうした新規事業の取り組みの端緒として存在したのが、結婚式場やプロデュース会社の情報サイト『エン・ウエディング』だった。現在、取締役として経営に携わる沼山祥史は、名古屋支社で求人広告の法人営業としてキャリアを積んだ後、この『エン・ウエディング』事業に参画する。今回はメイン事業から新規事業へ、新たなフィールドに挑んだ沼山の奮闘と学びを追っていきたい。

<前回記事>

ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 )――名古屋での新人時代

 

第2回:新規事業時代(2009年~2012年)

エンで新卒入社した沼山は、名古屋支社で早期に成果を上げていった。入社3年目には最年少(当時)でグループマネージャーに昇格。市場の変化に合わせて営業戦略を変更し、特に出稿額の大きなカンパニー(顧客企業)群で圧倒的なシェアの獲得に成功する。

「リーマンショックの直後でしたが、戦略がハマって、売上目標を達成し続けることができました。社長賞クオーターMVPには僕のグループから自分を含め3人が選ばれて、年間MVP(1年間を通じて最も活躍した社員に与えられる賞)は上司の名古屋支社長が受賞したんです。このときの成功体験は、大きなものでした」(沼山)

その一方で、沼山の中では心境の変化が起きていた。自身が作り上げた仕組みの完成度が高まり、運用をすれば成果が出る状態になったことから、手応えが薄まっていったのだ。

「正直、自分がいなくても、問題なく業績が伸びるようになっていました。もう一通り目途がついたな、という気持ちがあって、次はどうしようかと。そんなとき、キックオフ(3ヶ月に1回開催される全社ミーティング)で、ウエディング事業の立ち上げが告知されたんです。やりたい人は自己申告してください、とアナウンスがあり、社内公募で手を挙げることにしました」(沼山)

すでに『[en]社会人の転職情報』(現・『エン転職』)で華々しい実績を出してきた沼山。しかし彼の中には、現状に甘んじない挑戦心があった。

「僕は早期にマネジメントをするようになったので、純粋なプレイヤーとして営業をした期間は短かったんです。だから20代のうちに、現場でめちゃくちゃ営業をやりたい、という気持ちがありました。異動の申請も、プレイヤーとして出していたんですけど……いろんな事情があって、営業責任者としての異動になりました。上司からは、新規事業は営業責任者もプレイヤーだよ、っていわれて、なるほどって思ったのを覚えています(笑)」(沼山)

こうして新規事業に異動した沼山。では『エン・ウエディング』はどんなサービスだったのか。

「コンセプトは、ナチュラルとか、エシカルとか、インテグリティといったキーワードに共感していただける結婚式場にサイト掲載してもらおう、というものでした。また、当時は結婚式を挙げるのは高額だったり志向に合わないという理由で、実施率もすでに50%くらいだったんです。でも『縁』という考え方でいうと、いままでお世話になった人たちに、これからもよろしく、っていう人と人とのつながりができる瞬間が、やらない、っていうのは寂しいことだという想いがあって。だから僕らは、限られたコストで、かっこいいもの、洗練された美しいもの、心のこもったものをやろう、という提案をしていくことにしました」(沼山)

SDGsという言葉もない時代に、ミニマルでありつつ、人への想いの込められた結婚式を創出していこうとしていた『エン・ウエディング』。しかし、営業活動は苦難の連続だった。

「結婚式場がどこで利益を出すかというと、オプションサービスの比重が大きいんです。そこにできるだけスマートな結婚式を、という提案は、賛同を得られないケースもありました。また、圧倒的な競合サービスがあり、ナンバーワンのメディア以外は大幅に値崩れを起こしている市場で。でも『エン・ウエディング』は正直・詳細な広告でやっていきたい想いもあったので、利益を出すのに苦しみました」(沼山)

そんな折、日本を大きな悲劇が襲う。2011年3月の東日本大震災だ。

「こんなときに結婚式や宴会をやるのは不謹慎だ、という空気感になり、結婚式場も広告出稿を渋る状況でした。そのタイミングで、事業としてはむずかしいという判断になってきたんです。このままいっても数年後に10億円くらいの売上が限界で、それをやり続ける意義はあるのか、という意見もありましたし。とはいえ、すぐにサービスを閉じるわけにはいかないので、半年くらいは営業活動を継続しながら、クローズの準備をしていきました。立ち上げの際に各部署のエース級の社員が異動してきていたので、彼らの受け入れ先を探すのも同時並行です。みんな本当によくがんばってくれたので、一番良いキャリアを選択してほしいという想いがあり、各部署に交渉を続けました、自分のことは一番最後でしたね」(沼山)

新規サービスの立ち上げからクローズまでを経験した沼山だが、どこでどんなことを学んだのだろうか。

「新規事業って本当になにもないところからのスタートなので、僕自身も現場で営業に出続けましたし、今では考えられないことですが自分の誕生日の夜にホテルに飛び込みして、『誕生日なので、今日発注ください』と商談したこともあります。やることは、本当に泥臭いです。また、実践中心でPDCAを回すとか、サービスをつくるというのはどういうことなのか、という点はすごく学べました。事業責任者が何を考えているのかもよく理解できるようになって、その後のキャリアに活かされています」(沼山)

その一方で、何か取り残されているような感覚もつきまとったと、沼山はいう。

「もともと僕はメイン事業のエースだったので、注目されていたと思います。でも新規事業に来たら、誰も自分を見ていない感覚になって。かつての部下や後輩がどんどん成長して、新しいミッションにチャレンジしていく。その一方で『エン・ウエディング』の注目度は全社で高くないし、あの人っていま何やってるの?って感じだったと思います。それまでは正直、自分がイケてる感覚がありましたけど、新規事業に入ってからは、周りに置いていかれるような違和感がありました」(沼山)

残念ながら『エン・ウエディング』はクローズという結果になり、エースの輝きは失われたかに見えたが、それでも沼山には大きな財産が残った。

「もうクローズするって決まっていたのに、最後まで一緒にあがいてくれたことに対して、上司から感謝の言葉をもらいました。やっぱり、もう終わりが見えてくると、逃げたくなる人も多いと思うんですよ。でも僕は、新規事業をやるんじゃなかったって後悔はしたくないし、そういうことを言わない人間でありたいんです。事業責任者が一番しんどいわけで、もうちょっとがんばってみましょう、という人がいたら、きっと心強いんじゃないかって」(沼山)

一緒に新規事業を推進する中で、上司とのあいだに強い信頼関係を築いた沼山。このとき、彼はまだ28歳。その後も大きくキャリアが変化していくことになる。その激動の時間を支えたもののひとつが、この新規事業の経験であったことは間違いない。

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