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ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 <5>)――人材紹介事業部時代
2024/06/05UPDATE!

ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 <5>)――人材紹介事業部時代

ささきはじめ
コピーライター/現在は主に自社採用に関わっています。

日本国内における人材紹介(有料職業紹介事業者)の数は、約2万9000社(2024年3月時点)。人材派遣業と比べても参入ハードルが低く、競争が激しい分野だ。言葉を選ばずにいえば、エージェントの質は玉石混交ともいえる。

エン・ジャパンも人材紹介事業を展開していたが、2018年当時は業務の標準化が進んでおらず、他事業部とはカルチャーも異なっていた。その事業変革のために抜擢されたのが、派遣会社支援事業部の沼山だった。一般的に経験がものをいうとされる人材紹介ビジネスにおいて、彼はどのように業界未経験でも業績が伸びる組織に変えていったのか。見ていきたい。

 

<前回記事>

ワンス・アポン・ア・タイム・イン…エン・ジャパン(取締役 沼山祥史編 )――派遣会社支援事業部時代

 

第5回:人材紹介事業部時代(2018年~2022年)

2018年、秋。派遣会社支援事業部の事業部長だった沼山は、社長の鈴木に呼ばれた。鈴木から告げられたのは、人材紹介事業部の変革の依頼だった。

「すぐに事業部長として着任してほしい、当時の人材紹介事業部は課題点が多数ある、といわれました。派遣会社支援事業部の後任には純さん(中島純)がいてあとを託せるので、『いいですよ、僕一人でいきます』といって引き受けました」(沼山)

沼山にとって、人材紹介事業は未知の世界。手探りの毎日がはじまった。

「最初はいろんなミーティングに参加したのですが、KPIがバラバラで、複雑な組織になっていました。ある組織は求人数を追っていて、ある組織は推薦数を追っていて、ある組織は面談数を追っている。まずはいったんすべて聞いたうえで、これは人材紹介というモデルを合理的に定義する必要があるな、と。そこで業務フローのモデル化から着手しました」(沼山)

KPIとプロセスの定義から入っていくのは、派遣会社支援事業部(現・派遣支援事業部)のときと同様だったが、組織状況の違いは大きかった。

「派遣会社支援事業部のときは、組織のコンディションが良かったのですぐに方針が浸透しました。でも当時の人材紹介事業部の場合、最初はWebサービスから来た人に何ができるんだ、と反発があったのも事実です。ビジネスモデルもWeb広告とは異なりますし、正解がわからない状態でした。でも、わかっていたら引き受けてなかったかもしれません。人材紹介は未経験だったからこそ、やれた部分はあります」(沼山)

頼れる人もおらず、自分で道を切り拓くしかない。まさに、暗中模索、という状況だ。そもそも、人材紹介事業は複雑なモデル。商流が長く、求職者と企業の両方を動かせるため、何かを足場にしないと課題設定すらできない。

「求人に合わせて求職者を連れてくるのか、求職者に合わせて求人をとるのか。どちらも正解なんですね。画一的ではないので、個人の経験や勘で業績を上げる方向に進みやすい。だから戦略立案とか標準化ができていなくて、組織で動くダイナミズムがありませんでした。でも、わりと早い段階で方向性は見えていました」(沼山)

そして沼山は3ヶ月で業務をフレーム化し、戦略の骨格をつくりあげた。

「初月から成果が出るわけじゃないので、『ほらいったことか』という風当たりもありました。描いた戦略やフレームを理解し、動いてくれた人たちの平均売り上げが、既存の売り上げを抜く状態がやってきて。結局、やるべきことを絞り込めば習熟度の上がるスピードは速く、業績は安定するんです。的確なゴールを設定して、プロセスをシンプルにすることで、エージェントは職人芸がすべてだという先入観を覆せました。やるべきことが論理的に整理されてはじめて、職人芸は力を発揮します。そして、エン・ジャパンのパーパスが落とし込まれた事業を主体的に作ってくれるメンバーが、徐々に増えてきました。そういった人たちが、会社の宝だとおもうんです」(沼山)

実際、エンの人材紹介事業部では、ルーキーの立ち上がりが非常に速い。1年目でも高い生産性を誇り、成功体験を積み上げている。沼山が構築した「論理」に基づくフレームとパーパス実現への「情熱」が、いまも効果を発揮しているといえるだろう。

 

そして2024年4月。

沼山は人財プラットフォーム事業部(現・ハイ・ミドルクラス採用支援事業部)の事業部長を経て、ふたたび人材紹介事業部に戻ってきた。経営陣のひとりとして、土台のできた事業部を飛躍的にグロースさせることを期待されてのことだ。

2005年に新卒入社して以降、多くの修羅場をくぐってきた沼山。そのキャリアは、偶然が重なっているように見えるかもしれない。だがどんな苦難が待っていても逃げないその姿勢、そしてエンの理念を追求していく一貫性が、彼をいまの場所に導いたのだと確信している。一人でも多くの人が目の前の仕事に愛情を持って取り組み、エンの次世代のブランドをつくっていってほしいと願ってやまない。(終)

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