
「平日はワーク、土日は監督」…横浜の一朗、ルーツに迫る。
先日、新幹線にキャリーケースを忘れてしまった、人事のオサキです。
改札を出た瞬間に気づき、膝から崩れ落ちそうでした。
そんなことはさておき、10月頭、未来のエン・ジャパン社員の内定式が終わりました。自分の内定者時代のことを思い出していたら、同期のことを書きたいという衝動にかられensokuをUPすることに。
今日は、ワークにもプライベートにも手を抜かない「横浜の一郎」のルーツに迫ります。

今日は、横浜拠点で大大大活躍中の一朗にフォーカスをあてて、話を聞いてみましょう。
※もともと大阪で一緒に働いていた、同期なだけです(笑)
― 仕事では何をしているの?
横浜拠点で、企業の中途採用を支援するため、エン転職をメインに扱うコンサルティング営業として働いています。今現在は、チームリーダーとしてマネジメントもしています。
― ここ最近で1番嬉しかったことは?
自分のチームメンバー2人が、ベストルーキー賞を同時受賞したことですね。
全ルーキーの中でもっとも活躍している社員に送られる賞を、チームメンバーの2人がとってくれたことはとても嬉しかったです。

― マネジメントでも成果を出しながら活躍してますね。そもそも4年目だけど、入社当初はどうだったんですか?
めちゃくちゃ苦労していました。「みんな最初は苦労したよ~」って話をよくしますが、その中でも苦労したほうだと思います。
入社して3年間は大阪で働いていたんですが、僕は生まれも育ちも東京なんで「なにわ怖い」みたいに思っていました(笑)

また上司にも日々怒られてましたね。すみません。間違えました。ご指摘を頂いていました。
最初の上司は、今福岡で拠点長をされている蜂須賀さん。(恩師、蜂須賀さんの仕事ぶりは下記画像をクリック!)
自分の最初の上司でしたが、半年間怒られ続けました。ただ、いざチームを離れることになって、思わず涙。(内心、少し嬉しかった。)

当時の大阪ルーキーは、全国の中でも業績最下位。
ただ頑張り続けた結果、1年目の1月に初めてベストルーキー賞を獲得できたんです。
さらに1年目の最後にはルーキーの生産性で、大阪拠点が全国No.1になることもできました。

自分自身、幼少期から大学までずっとバスケットボールをしてきました。
高校のときはインターハイにも出ていて、バスケが好きなんですよ。それもあって、今は上智大学の女子バスケットボール部の監督をしています。
今年の4月に転勤で横浜に来たんですが、大阪時代は、
(月)~(金)まで大阪で仕事。(金)の夜に東京へ戻り、(土日)は監督。(日)の夜に大阪へ戻り、(月)から仕事。
こんな毎日を送っていました。

― ワークとプライベートの両方ともに全力ですね。大変じゃないですか?
大変です(笑)
ただ、お互いを頑張ることによって相乗効果が生まれていると感じています。
ワークライフバランスという言葉もありますが、ワークとプライベートを切り離すのってもったいなくないですか。
お互いに相乗効果を生むような人生だったら、もっと両方ともが楽しめると思っています。
―シナジーですね。ワークとプライベートがシナジーしてますね。
シナジーしてますね。仕事で学んだことが、バスケットボール部のマネジメントに役立つことが多くあります。逆もしかりです。
監督をしていると、お客様である経営者の気持ちが少しずつ理解できるようになりました。
学生の笑顔を見るためならなんでもできる反面、裁量が最も大きい分、重圧や孤独感を感じます。これは組織の上に立たないと、なかなか理解できなかったことです。
経営者の方々に寄り添い、お悩みを解決できる機会が増えたのは、正に監督をやっているおかげです。
そして、最後にこれだけは言わせてください。「学生の皆!横浜の皆!愛してるよ!!!!」
―すごい。人生はワークもプライベートも全力。勉強になりました。引き続き、一朗の入社後活躍をオサキも追っていきます。
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この記事を書いたレポーター

- オサキダイ
- 2014年新卒入社。大阪で営業をし、今は東京で人事をしています。生まれは山口県岩国市。同級生は4人。兄弟も4人。甥っ子、姪っ子は5人います。